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2020年11月6日

もがき続けて50代で辿り着いた「一生かけてやりたい仕事」【垣畑光哉さまインタビュー】

プロローグ

「50歳のエンディングノート」取材担当のサムシングファン薮本です。

本日はリスナーズ株式会社・垣畑社長にお話を伺ってまいります。

私自身以前から存じ上げており、優しそうな笑顔が印象的な方なのですが、学生時代から意欲的に活動されて様々なビジネスの成功を収めながらも今は採用領域や企業、経営者のストーリーを表現するお仕事されています。

取材を生業とされているとのことなので普段はインタビューを受けるよりもする側であることが多いかと思いますが、今回はいろいろなお話を深掘りして聴いていきたいと思います。

ぜひ最後までお楽しみください!


垣畑さん

 

薮本

本日はよろしくお願い致します!

今回は「50歳のエンディングノート」という、主に50代の方にいろいろな経験、視野をお伺いするメディアとして取材をさせていただいております。
私自身は今月で44歳になりますが、近しい年代であるとは言え50代はどんな変化があるのかというのは未知でして、さらに20代、30代の方からすると遠い未来のようで実は今から意識しておくべき、そんな重要な年代かと思っております。

本日は垣畑さん自身がこれまでどんな経験をしてきたのか、そして今どんなことを考え注力されているのか、そんな視野をいただければと思っております。

まずは垣畑さんの自己紹介をお願い致します。

垣畑

リスナーズ株式会社・代表取締役、垣畑光哉です。
昭和40年生まれの55歳で、会社は20期目になります。

現在は取材に関する事業をしており、リスナーズという社名の通り「話を聴く人たち」というコンセプトでライターさん始め編集者の方やカメラマンの方がパートナーとしていらっしゃって、その方々が企業に訪問したりご自宅にお邪魔しながら会社や個人のストーリーをお聴きして作っています。

僕らは同時にLISTEN(リスン)というメディアも運営していますが、そこはいわばインタビューコンテンツの集合体として「『人』をつたえ、つなぐ」というコンセプトの下、500社以上、2000人を超える方の記事が掲載されています。
起業したのは2001年ですが、そこから事業をピボットしながら今に至ります。

虚心坦懐というフラットな姿勢で『人』を伝えるためのインタビューを

薮本

ご紹介ありがとうございます。
まさに多くの方にインタビューをされてきた側なので、垣畑さん自身が質問されるというのは新鮮な気持ちではないでしょうか?

垣畑

実はインタビューしていただくこともたまにあるのですが、すごくいい機会ですね。
聴かれる側ってこうなんだ、と。

薮本

僕もメディアでインタビューをさせていただく身として是非教えていただきたいのですが、インタビュアーとして心がけていることやメンバーの方に共有されていることって何かございますか?

垣畑

インタビューの時に常に掲げているのは、虚心坦懐という言葉ですね。

心を空っぽにして先入観を持たないという意味なのですが、実際に僕が受けたインタビューの経験上でもインタビュアー側の意図を感じてしまうことがあるんですよね。
こういう風に話を持っていきたいのかな、というのは話し手側も敏感に感じ取って忖度してしまうので、本意を引き出すことができなくなってしまいます。

だからできるだけ先入観を持たずフラットな状態で、かつ話し手のもっと話したいことを引き出す、そういう意味で僕自身は虚心坦懐という言葉を心がけています。

薮本

確かにメディアさんの趣旨によってこういうセリフが欲しい、とかもありますよね。

垣畑

特にうちのメディアは、メディアであってメディアじゃないと言いますか、その人そのものを表現するようにしていますので、自由に話してくださいと言うと逆に驚かれることもあります。

その人自身を伝えるためにいかに本音の話を引き出せるかというところにこだわっています。

ターニングポイントは30代、安定的な仕事に危機感を感じ辞める決断をした

垣畑さん

薮本

私共のメディアに関しても、年齢というある種記号的なものをきっかけにしてはいるのですが、自分たちが到達していないところにおられる方々が今どういった景色や感情を持たれているのかなと、私はもちろんですがいろいろな人にシェアしたいという思いからスタートさせていただきました。
それでは垣畑さんの人生におけるターニングポイントになった出来事やきっかけについてお聴かせいただけますか?

垣畑

僕は新卒から10年間サラリーマンをしていたので、起業も33歳くらいの時でした。
サラリーマン人生では外資系保険会社のマーケティング職として仕事をしていましたが、そこを辞めたことが最初のターニングポイントかと思います。

当時はその会社に骨を埋めるつもりで頑張っていたのですが、ちょうど入社10年目ほどの時に交通事故に遭って1ヶ月ほど入院したことがありました。

そのときにいろいろなことを見直す時間が出来たことがきっかけで、ここから先もう10年同じことを続けるのかと考えましたが、10年上の先輩の姿を見た時もピンとくるロールモデルが見当たらず、この先も同じことの延長のように感じました。

外資系の企業だったのでお給料もそれなりにいただいていましたが自分で稼げているという実感は無く、このままではいざ梯子を渡されたら何もできない大人になってしまう、自分の人生をコントロールされてしまう、そんな気がしました。

若さゆえの無謀な考えでしたが、ぬるま湯に浸かりながらもそのリスクを感じ敢えて辞めたことは良かったと思いますし、その頃の自分によくやったと言いたいですね。

薮本

それこそ一般的には事故に遭って1ヶ月も入院してしまうと、むしろサラリーマンで良かったと思うことがありそうですよね。

垣畑

確かにそのときはお給料はもちろん、会社柄いろいろな保険にも加入していたのでお金もたくさんいただけましたね。
現実的にはそういったことも次に踏み出すきっかけになったと思います。

薮本

入院という出来事によって生まれた時間の中で、人生を振り返って自分自身と対話するようなきっかけがあったのですね。

垣畑

病気でも無く頭はクリアなのに時間がある、ということだったのでいろんなことが考えられました。
そういう時間はすごく貴重だったなと思います。

薮本

30代前半の時に改めて振り返って「このまま勤めていて良いのか」と葛藤が生まれた時、相談されたり助言を求めるというようなことはされなかったんでしょうか?

垣畑

そうですね…、意外と誰にも相談してなかったです。ただ唯一、流石にカミさんには言うわけですよ。
これは今でも自慢げに若手メンバーに話してしまうことですが、僕が会社を辞めたいとカミさんに伝えた時、「いいね!何やるの?」と言ってくれたんです。
強く背中を押してもらえたことは今でもすごく感謝していますし、裏切らないように頑張らなきゃと支えになっています。

薮本

奥様は期待もしてくれているしワクワクもしてくれる、そんな関係性だったんですね!

垣畑

2人とも楽観主義なところがあったので、元々僕が大企業の中で中間管理職として思うようにいかないストレスを抱えていたのを見ていたこともあって、そこから脱することができるならいいんじゃない?という感じでした。

薮本

20代の頃は会社勤めをされていたということですが、その期間を振り返って得たものや自分にとってかけがえの無かったものは何かございますか?

垣畑

やっぱり初めて入った会社だったのでイロハを教えてもらいましたし、最初に僕に付いてくれた上司が変わり者で有名な人でしたが、変わり者なだけにいろいろな金言を残してくれました。

一つ、今でもよく覚えているのが「決心をしろ」「決心をすることが給料の対価だ」ということです。

最初はよく分からなかったのですが、20代後半で自分よりも年上の方を束ねて一番伸びているプロジェクトのリーダーになった時、皆判断に迷うと僕に聞いてきたんです。

実は誰が決めてもいいはずなのに、責任を負いたく無いから誰も決めないんですよね。そういうのを瞬間に判断して腹を括って意思決定を下すというのを毎日繰り返していました。
それは今にとても活きているし「決心しない人は給料泥棒」という上司の考えは僕にもどこか残っていて、メンバーの中でも決断をしないで漫然と相談してくる人がいると「君はどう思うの?」とつい言いたくなってしまいますね。

薮本

なるほど。

それは勤めていた外資系の会社全体の文化というよりはその上司の方の影響の方が多いのでしょうか?

垣畑

そうですね。会社自体外資系だったので自由闊達とか新進気鋭というような空気感はもちろんあったのですが、自分で決めろという少し昭和的な考えを教えてくれたのはその人ならではだったと思います。

15年続けた事業を手放し、51歳で再創業

薮本

ありがとうございます。

30代になられて別の道として独立・起業した当初はどんな感じだったのでしょうか?

垣畑

実は最初、辞めて何をやるかも決めておらずいろいろ考えていました。
自分が好きなラーメン屋か、マッサージ屋か、はたまた当時流行っていた車メンテナンスのフランチャイズオーナーか…。

でもやはり自分がよく知っている業界を離れるのはもったいないと思ったので、それまではオフィスで働くような保険のマーケティング職をしていたことから、やったことの無い泥臭いセールスをやってみようと思いました。

しかしそうすると給料がゼロになってしまう、と困っていた時にいい情報を聞きました。
ある企業調査会社から転職してきた方がいまして、そこは給料は安いものの自分の時間が取りやすいと言うので、ということは副業が出来るのではないか?
それならと、昼間は企業調査の仕事をして夜と土日は保険の営業をすることにしました。

実際僕にとってその組み合わせはすごく良かったです。
というのも保険会社の正社員ってぬるま湯というか案外丸腰なんですよね。僕自身、社会的な経験値がすごく少ないというコンプレックスがあったんです。
でも企業調査というのは伸びている会社から今にも潰れそうな会社まで、色々な会社を訪問しヒアリング、スコアリングをするので、世の中の隅々まで酸いも甘いも見れるのでこれは勉強になると思いました。

保険会社の方は、当時僕が三十代前半で周りの人もニューファミリーとしてこれから家族を持っていく世代の人たちだったので、彼らに対して保険相談という形で提供を始めたところ、上手くハマって成果が出まして収入は着々と増えていきました。

一方の企業調査会社は手取りで月16万円ほどになってしまったのですが、それでも保険の営業との合わせ技で少しずつ収入も増え、自分で稼いでるという感覚と世の中の酸いも甘いも知れているという実感で日々充実感でいっぱいでした。

しかし結局その二毛作は8ヶ月しか続きませんでした。
当時保険会社でお付き合いのあった広告代理店の部長の方が独立をし、他の保険会社をクライアントにしたいということで紹介していました。
紹介をきっかけに何千万も売り上げが付いたことで、その方から引き抜きのお誘いをいただき、一度はお断りしたものの給料も企業調査会社の倍で副業も認めてくれるということで、その広告代理店のNo.2として入社し1年ほど働きました。

そのため結局自分の会社を作るまで、最初の離職から2年ほど過渡期がありました。

薮本

なるほど。ではそのあとに作る会社が現在のリスナーズになるのでしょうか?

垣畑

そうですね、ただ事業の内容は現在とは全く違います。
保険のダイレクトマーケティングのコンサル会社のような感じでDM、つまりパンフレット、申込書、封筒から約款までそういうもの全てのデザイン・企画・印刷・発送の代行をし、ニッチだけど専門性の高い会社として2001年に創業しました。

当時はネットが無い時代なのでダイレクトマーケティングでは保険の通販がテレビCMなどで伸びている時期でした。
僕が元々いた保険会社がそんなマーケティングのパイオニアだったのですが、後発の保険会社もたくさん出てきている中で、マーケティングに関する人材やノウハウへのニーズが蔓延していたんです。

そんなタイミングで独立したので、僕がいた古巣から転職して他の保険会社に行く人たちは「垣畑って全部分かってて要領よくやってくれてるんだ」と分かってくれてクライアントになっていきました。

薮本

ここまでのお話を聴いていると、外資系の社員として培ってきたノウハウや経験を活用して上手く独立後の人の縁や市場の波に乗られており、とんとん拍子な印象を受けるのですが実際この辺りはかなり順調だったのでしょうか?

垣畑

取引先の印刷会社が手形を使用していたことで現金化のタイムラグが発生して資金ショートしかけたりだとか、振り返れば可愛いトラブルはありましたが、今思えば一番怖いもの知らずでスクスクといろんなことを吸収しながら順調に成長できた時期というのが起業前2年間、そして起業後2年間での印象ですね。

薮本

そのあと今の事業に繋がっていくと思いますが、今の取材事業の原型として最初にやり始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

垣畑

保険会社をクライアントとしてやっているうちにだんだんと保険業界も変わっていきました。
今ではテレビCMでも見ることが多いと思いますが、保険の窓口などの保険ショップと言われるところが増えてきたんです。
あんな風にだんだんと売り手の存在感が増してきて、保険会社だけではなく保険代理店とか保険の外務員・営業職の方、そういった方も僕らのお客さんとして裾野が広がっていったんですね。

そうするとマーケティングというよりもお客様に直接売るためのセールスの支援が課題になったのですが、特にセールスって商品売りではなく自分売り、保険選びは人選び、と業界の格言がありまして。

例えば薮本さんという営業マンがいたとすると、僕が薮本さんを信用したら薮本さんに言われた保険に入る、月々3万円くらいしか払えないけどよろしく、みたいな世界なんですよね。

つまり、薮本さんがどういう人で僕は何に共感出来るのかというところを、営業マンである薮本さんがいかに僕に伝えることが出来るのかがセールスの上ではすごく重要なんです。
こういうことは実際に何十年も前から知られていたことなので、皆紹介を活用したり会食に参加して人間関係を作ってきていました。

そこでより人を伝えるためにはどうしたら良いかと考えていた時、ちょうどそのタイミングで出版社から保険特集の監修の依頼をいただきました。
せっかく企画させてもらうなら任せて欲しいと伝え、自身が監修するというよりは保険のセールスマンを登場させて「営業マンのおすすめ保険を教えます」というような企画を作ってみたところ、セールスマンの方々がすごく喜んでくれたんですよ。
B2C向けに大きくリーチ出来る媒体に営業職の人が載れることは今まで無かったんです。

そのあと自身で雑誌を作って、まずは年二回出版の「最新保険ランキング」というムック本をシリーズ化しました。
次に、人そのものをさらに伝えるためには彼らを取材して仕事やお客さんに対する思いをストーリーとして読み物にして出版したら良いのではないかと思い、北は青森、南は沖縄まで保険の販売に関わる方30人を募集して「保険の30人」というような本を作ってみました。

これが8年前ですね、人を取材して人を伝えるためのコンテンツを作るという最初の入り口でした。

薮本

なるほど。その保険の外交員をされている方々のお人柄をインタビューで引き出していくのって、簡単そうで意外とすごく難しいのではないかと思います。
その方のエピソードなのか、それとも考え方なのか、どういった切り口からそのお人柄を引き出されているんですか?

垣畑

僕自身振り返ってみてもなぜあの時できたのか不思議ですが、ハッタリでやっているうちにできちゃったという感じだと思います(笑)

ただ理由の一つに、保険業界に長くいたことと自身も副業としてですがセールスに飛び込んだ経験があったので、お客様とのコミュニケーションの難しさや壁に対して共感度高く取材ができ、「なかなか大変なお仕事ですよね」というセールスマンの目線で話を出来たのは大きかったと思いますね。

インタビュー中に苦労話をしながら涙する人が30人中2人いたんですよ。
話している人すら夢中になってこんなに晒け出して、普段なら話さないことも話してくれたので、取材って本当にすごいなと思いましたし、手前味噌だけど自分には結構向いてるのかな?と思いました。

薮本

垣畑さんの優しそうな雰囲気と始めにおっしゃっていた虚心坦懐、そのニュートラルな姿勢で自分自身について深堀りして喋りたくなってしまうんでしょうね。

垣畑

確かに、真っ白なキャンパスとか真綿とか、吸い取りが良いとよく言っていただくことがあります。一番嬉しい言葉ですね。

薮本

保険の営業マンの方を取り上げて取材したところから出版にまで発展し、手法を組み合わせることでさらに新しい価値が生まれてきたというところだと思いますが、これはこのままビジネスにも発展出来るという確信に繋がっていったんでしょうか?

垣畑

実はそのときは直結しておらず、自分としては保険のマーケティング・セールスのサポートの一環として取材や出版をするということで完結したつもりでいました。

もちろん続編として同じような本は出していて、保険業界の中では知られるようになってきていましたが、ビジネスとして考えるようになったきっかけは取材で違う業界に踏み込んだことでした。

あるとき、ハウスウェディングをやっている知人の経営者の方が、僕の本を見て「これを保険の営業マンではなくウェディングプランナーにして出来ないか」と言ってくれたんです。
当初は保険業界を知っているからこそインタビューが出来ているのだと思っていたので難しいだろうと悩みましたが、物は試しと半年がかりで作ってみたところ、これはこれで結構良いものが出来たんですよね。

つまり、保険業界のことが分かってるから出来たのではなくて、逆にもっと大事なこととして虚心坦懐の姿勢で分からない業界だからこそもっと聴く、そうするとさらに、業界の人にとっても何が一般の人に分からないのかを知ってもらうことが出来るんですよね。
このときの取材が横展開する一番の機会だったと思います。

薮本

そうだったんですね!

垣畑

ウェディングプランナーの方の取材特集も無事に上手くいきましたとなると、皆が色々なアイデアを持ってきてくれるようになり、次はベンチャー企業の経営者に焦点を当てて「ベンチャー企業で働こうよ」というような本を作ることになりました。

写真はこう撮って宣伝に使おうとか、先輩経営者を数人入れようとか、そういった周りの人の声も全て入れて、僕らの先輩格の経営者であるGMOの熊谷社長とかオプトの鉢嶺社長とか青山フラワーマーケットの井上社長などに声をかけて登場していただき、若手の経営者がその中に入ってくるというような本を作りました。

これが経営者を取材するという、本当の意味で今の原型かもしれません。

人の本質に触れる「聴く仕事」が自分の使命だと確信した

薮本

確かに、いずれも対人というところで価値を発揮するお仕事で、誰から買うかということや誰についていくかというのは非常に大きいですよね。

人のストーリーを深堀りして共有することに価値のある職種というのは世の中にまだまだたくさんありますし、先ほどおっしゃっていた素人目線というのがさらに分かりやすく聴き出せるポイントなのかなと思いました。

実は僕もこのメディアでインタビューさせていただくのはかなり久しぶりではあるものの、お話聴いていく中で一番得するのってインタビュアー自身だなと感じることがありまして。

もちろんメディアユーザーにもたくさん気付きを得て欲しいんですけれども、やはり自分自身が人生と照らし合わせながら色々なことを学べるなと毎回思うのですが、垣畑さん自身が取材をしていてすごく大きな気付きになったことや今でも忘れられないものになったというエピソードは何かございますか?

垣畑

それですと先ほどのインタビューをした方に泣かれてしまった話ですかね。

お相手を泣かせるつもりも、そういった誘導もしてなかったのですが、やはり人というのは話を聴いてもらったり共感されるだけで感動することがあるんだなと思いました。

そういうことが二度三度あったので、聴くこと自体が責任感ややりがいにも繋がっていき、最初は少しやってみようかなという軽い気持ちで始めた取材が、だんだんと自分のミッション、使命のように思えてくるようになりました。

インタビュイーの方が目の前で普段話さないことや見せない姿を見せてくれたという積み重ねが、今の自分の信念に繋がっている気がします。

薮本

ミッションというお言葉がありましたけれども、自分自身が人生でやり遂げるべきことってなかなか言語化出来ない人の方が多いと思うのですが、垣畑さん自身の経験からしてもいきなり降ってはこないということですよね。

垣畑

あぁ、そうですね。やりたいことが見つからない、という若い人たちに対してもそんなものはなかなか見つからない、僕は50年かかった、という話はよくします。

薮本

人の話を聴いて表現するということについて最初のきっかけは本当に些細なアドバイスやご縁だったと思いますが、それがミッションや使命になるまでに持ち続けていた考え方やスタンスは何かございますか?

垣畑

取材に関わる仕事は40代後半からで、それまではずっと保険に関わる仕事としてサラリーマンや起業をしていましたが、これから50代以降本当に仕上げていきたい仕事って何かなと考えていたんですよね、すごく。

なんとなく聴くことを始めてそれが積み重なっていくうちに「もしかして探していたのってこういうこと?」という感覚があったりして、その間にも先ほど話したように感動して泣いてくれるインタビュイーの方や、どこでもしていないような話を僕にしてくれる人のことを聴いているうちに「もしかして」というのがだんだん確信になってきました。

やっぱり人のことって分かっているようでほとんど分かってないんだな、と思います。
当たり前かもしれませんが取材して30分もその人について聴くといろんなことが分かるじゃないですか。
だけど例えば食事をしたり飲んでいても相手について一方的にこんな話をする時間って取れないですし、会う回数を重ねたとしても体験や考えについて吐き出す機会って取材でも無いと滅多に無いんですよね、だから僕は、取材とは、取材を受ける人にとってすごく特別な時間だと思うんです。

人の話を聴く姿勢も最初は見様見真似でやっていましたが、だんだんと自身のメソッドとして虚心坦懐という姿勢を持つようになってお話を聴くことで、「人に話を聴いて欲しい、知って欲しい」「人に興味がある、知りたい」という人間の本質的な部分に触れることができるようになり、一生かけてやっていきたい素晴らしい仕事だと思いました。

これを自分だけでやるのはもったいない、もっとたくさんの人にやって欲しいと思い、聴く人の集団という意味で4年前に「リスナーズ」という社名に変更、同時に保険のマーケティング事業は売却して、そこから社員もゼロで再スタート。
聴く仕事への気持ちが積み重なって再創業しました。

薮本

積み重なってきた中で新たな気付き、自分自身がやり続けたいというものに出会えて、それが確信となったから再創業されたということですね。

今集まっている仲間に対して、垣畑さんの思いはどういう形で共感を生み出されたのでしょうか?

垣畑

うちは正社員は少ないものの、ライターさんやカメラマンさん、編集者の方とパートナーシップで繋がっているのですが、まず自社メディアのLISTENを見た方にはどうやってマネタイズしてるんですか?と聴かれることが多いです。

人にフォーカスしてコンテンツを一つ一つ作り、しかもそれをマネタイズしていることが最初は信じられないようでしたが、パートナーの方は「本当はそういう仕事がしたかったんです!」「だからLISTENの仕事は特別なんです」と言ってくれるんですよね。

特別なことをやっている意識はありませんがやっぱり人のことを知りたいという欲求はライターさんにもあるわけで、それが上手く伝わるとインタビュイーの方も喜んでくれるので、そんな良さを僕は愚直に伝えていて、その思いで繋がっている仲間が今の現場にいるんだと思います。

やっと見つけた「一生かけてやりたい仕事」へ、勝負の50代

薮本

ありがとうございます。
いろんな方の人生について聴かれる中で、おそらくどの方にとっても意味のない時代というのは無いと思うのですが、垣畑さん自身にとって20代,30代,40代それぞれの10年ずつというのは振り返ってみるとどんな意味を持つ時期だったのでしょうか?

垣畑

正確には大学に入ったくらいからですが、20代はとにかく伸び伸びと遊び倒した時期でした。
当時はバブル期だったんですよね。今から思うと世の中の景気が良いうちに学生もしていたし新卒入社して外資系でバリバリ働いて楽しかったし、よく遊んでそこでいろんなものを吸収して今に繋がる引き出しが出来たと思います。

薮本

他の取材記事を読ませていただいた際、学生時代にいろいろなイベントを仕掛けたり、夜な夜なクラブ通いをしていたと拝見致しました。

垣畑

そうですね、本当に悔いなくたくさん遊びましたね。

30代は独立をしたのでイケイケな感じで、アントレプレナーだったり経営者としての自分を作っていく過程で起業家・創業者の世界的ネットワーク組織であるEO(Entrepreneurs’ Organization)に入ったのも39歳のときでした。経営者人生の始まりでビギナーズラックの繰り返しだった気もしますがそんなに苦労したという気も無かったです。

問題は40代です。40代はもがきにもがいた時期で、元々感覚的に物事を0→1で始めるのですがそれを1→10にしようとした時にいろんなバイアスがかかって、変に自分を忖度したり人を増やしてみたり自分に才覚もないのに拡大してみたりだとか。

よくEOに入った功罪の話として若いメンバーにする話ですが、我々はどうしても良い話ばかりインプットしてしまうので軽々しくアドバイスしてはいけないとフォーラムルールにあるんです。
でも僕はいろんなことを軽々しくインプットしてしまってたんですよね。
だからその時々は必死にやっていたにも関わらず軸がブレて上手くいかないことが多く、苦しい10年でした。

50代も、現在55歳で半分に来ていますがそれで落ち着いたかと言われるとそんなことも無く、何も成し遂げてないという感覚ですが、だからこそ逆にこの10年間が勝負だなと思っています。

60歳で引退することも無く死ぬまで何かしら仕事はしていると思うのですが、それがどこまでできるかは一生かけてやりたいと思った仕事のベースを築くこの10年にかかっていると思うので。

コロナショックは原点回帰をして大切なことを見直すきっかけに

薮本

シンプルな質問になりますが、50歳になった直後ってどんな感情だったんでしょうか?

垣畑

正直、コンプレックス以外の何者でも無かったですね。
何も成し遂げてないし迷いもまだまだあったので、ガンガンやってみてもまだ空元気のような気もしていました。

四十にして惑わず、と言いますがこんなに迷っていて良いのかという感じで達成感も無く自己評価もすごく低かったですね。

薮本

お話を聴いていると、周りの方々からの評価や共感値が高いことをされていたと思うんですね。
例えば人の話を聴いてそれが他の人からも読んで分かるようなお仕事をされていたので、周りの起業家も頼ってくるし良いフィードバックも集まっていて、他の人がやっていない切り口というところで事業を展開されていたと思うんですけれども、それでもなおコンプレックスを持つ要因というのはご自身にございますか?

垣畑

僕は基本極めて穏やかな性格だと思うのですがやっぱり心の奥底に負けず嫌いな性格があるんでしょうね。

人と比較するのは意味が無いとつくづく思いながらも、周りに立派な経営者がたくさんいる環境だったので、もちろんだからこそ頑張れるということもありましたが、逆に比較して自分も数字レースに乗ろうとしてみたり。
そんな感じでコロナショック前までは、大切にするべきものがブレてしまったり無駄に力んでしまうこともありました。

このコロナショックの半年は、自分にとって本当に大きな、もしかしたら死ぬ前に思い返すようなターニングポイントじゃないかなというくらい、原点回帰として大切にしたいものは何かというのを改めて考える時期になりましたね。

薮本

まだ30代入られた頃に、交通事故に遭われて今までの生き方を考えられたように、今年のコロナショックというのは単純にネガティブなことというよりはいろんなことを見つめ直すきっかけになられたということでしょうか?

垣畑

そうですね。もちろんポイントごとに見るとどうにもならないピンチで落ち込んだこともありましたけど今の時点では振り返ることができて良かったと思えますし、おっしゃる通り、交通事故の時と似たような心境かもしれませんね。
やはり走ってる途中では立ち止まれないし何も見えなくなってしまうのですが、強制的に立ち止まらせられると否が応でも周りを見ながら自分のことも落ち着いて振り返れることができて、何をすべきだっけ?というのが自分の中に腹落ちする感覚がありますね。

薮本

50歳になっても持たれている葛藤というところまでシェアしていただきましたが、若い頃のご自身、または今関わられている2,30代の若い方に向けて、何かアドバイスやメッセージをいただけますでしょうか?

垣畑

自分にも都度言い聴かせていることなのですが、絶対に上手くいくと自分を信じることですね。

きちんとやるべきことをやっていればそうそう悪いことにはならないですし、自分が信じられなくなった時が一番ブレてしまうんです。そうすると、思ってもいないことを仲間に言ってしまったりビジネスモデルが崩れてしまったり。
そのときは環境のせいとか言ってしまいますけど、結局自分の心の持ち方次第だったなと今では思います。

忙しさにかまけて突っ走るのではなくて、何のためにやってるのか、それは本当に胸を張って自分が好きなことだと言えるのかと、都度そういう振り返りをして周りの人に感謝していれば自然と引き上げてもらえると思いますし、悪いようにはならないかなと思いますね。

薮本

お話を聴いていると本当に40代で葛藤があり大変な出来事があったのではないかと思うのですが、振り返ればそういったハードシングスは今の垣畑さんにとってどんな意味がありますか?

垣畑

ハードシングスが無いよりはあった方が人の痛みが分かるので、聴く側になった時にも共感できることが増えると思います。
そういう意味では自分の懐がより広がったのかなとも思いますし無駄とは思っていません。

大変な思いをするのはもちろん嫌ですし、今ならもっと上手くやるのにという反省はありますけど後悔は無くてきっと全部意味があったと思います。
一通りいろんな苦労にぶつかると、それはまた人にシェア出来たり、人がぶつかった時も笑ってるんじゃなくて分かってあげられるんですよね。僕自身そんな風に分かってあげられる人になりたかったですし。

薮本

その思いとか出来事があって共感というものにすごく深みができたこと自体が、もしかしたら垣畑さんが人の話を聴いてストーリーにするという使命に出会うためにも必要だったのかなと思いました。大変な出来事を一概に良かったですねとも言い難いので少し複雑な気分ではありますが…。

垣畑

でもきっと良かったんでしょうね、今思えば。

薮本

ありがとうございます。

お話を伺ってきて、奥様であるとか会社であるとか、初めて入った会社の上司や周りの起業家の方などいろんな方のご縁を感じました。
若い頃からのいろいろな方とのご縁の中で、すでにお亡くなりになられている方が今だったらこういうお話をしてくれるのではないかと思い浮かぶ方っていらっしゃいますでしょうか?

垣畑

僕の周りの方は意外と健在でパッと思い浮かぶ方がいないですね、両親も健在で。
せっかくのエンディングノートの取材なのに話が出来なくて申し訳ないのですが、皆元気に生きてくれていますね。

薮本

とんでもございません。周りの方がご健在なのはもちろんとても良いことです。

本メディアは『ぶつだんのもり』さんとのご縁でやらせていただいているのですが、僕自身お話をいただいた当初は仏壇を買ったことも無かったものの、現場の方と話しているとエンディングノートもそうですし仏壇を買うことに関しましても生きているうちに取り組んでみること自体、ご家族と話し合って関係性を築くことが出来たり、とにかくおめでたい話だと伺いました。

一方で仏壇を買いに来られる方の「良いものを買おう」「高いものを買おう」という気持ちの原点がとにかく彼岸に渡られた方への思いの深さだというのをいつも感じられるようで、私自身今まで仏壇屋のスタッフの方々が周りにいなかった中で、先ほどのリスナーズさんの使命と一緒でお話を聴いてみるととすごく共感しまして、ぜひメディアをやりましょうとお返事をさせていただいたんです。

当然50歳というのはまだまだ元気で日本のど真ん中の世代だと思っていますので、この時期だからこそ今までの生き方を記すメディアをやることはすごく縁起の良いことじゃないかと思い、こうしてインタビューをさせていただいています。

焦りや葛藤を乗り越え、もがく自分を肯定できるようになった

薮本

最後になりますけれども、本日すでにたくさんのお言葉をいただいているのですが、もしご自身がエンディングノートを書くという際に座右の銘として表紙に書きたいと思うようなお言葉はございますか?

垣畑

「転がる石には苔が生えぬ」という言葉があるのですが、それが好きですね。

50代になると人の見かけに差が出てくるじゃないですか。どちらかというと僕は若いと言われることが多いのですが、それって結局何もやり遂げていなくて落ち着いていないからだと思うんですよね。
今まではそれに対してもコンプレックスだったしずっとネガティブに捉えていたのですが、今では開き直って一生未完成でも良いのかなと思うようになりました。

ずっともがいて転がっている、だけど苔も生えない常にフレッシュで頭を垂れる気持ちでいられますし、以前から好きな言葉ではありましたが最近はより好きな言葉になりましたね。

薮本

ありがとうございます。

元々垣畑さんとご面識はいただいていたものの、途中おっしゃっていたように取材という場でないとお伺いできなかっただろうなというお話をたくさん聴くことが出来て、正直今まで抱いていた印象と全く違うお姿を見ることが出来ました。

垣畑

これまで僕はどういうイメージでしたか?

薮本

どちらかいうと自信満々な方のイメージでしたね(笑)

垣畑

外面で自信なさそうにしていても良くないしね(笑)

薮本

ご自身が葛藤してきたものを糧にされているんだなということ、すごく共感しましたし、自分自身も止まらずに転がり続けるということをぜひ学びたいと思いました。

僕たち起業家は仲が良いだけでは聴けないような話をいろんな人から聴けますし、もちろんこういうインタビューメディアもたくさんあるわけですけど先ほどおっしゃったようにメディアごとに目的があって、その目的ごとにある種の意図が入ってしまうこともあると思いますし、その人が50歳という節目を迎えられた時に何を考えるのかということや使命についての話は普段なかなか聴けないものがあるのではないかと思いながら今回お話を伺っていました。

垣畑

僕自身インタビューに関わる身ですが、やっぱり薮本さんのインタビュアーは流石だなと思いました!

薮本

ありがとうございます。ぜひ個人的にフィードバックをいただきたいです(笑)


エピローグ

本日はリスナーズ株式会社・垣畑さんにお話をお伺いしてまいりました。

冒頭少しお話したように、いつもにこやかで迷いなく自信のある方だと思っていたのですが、インタビューを通じていろいろなご縁やきっかけを受けて自分の使命に出会え、年齢を経ても様々な飢餓感や葛藤を持ちながら前に進んでこられた方なんだと改めて知ることが出来ました。

僕自身、虚心坦懐、人に対してフラットな気持ちでいろんな気づきを得るということを考えるきっかけになりましたし、人を知る上で目線を合わせるということが印象的でした。
その人の思っていることに対して共感して目線を合わせた上でお話をすることでインタビュアーだけではなく、インタビュイーの方も深い自己対話をする機会になるのだと思いました。

取材という機会でもないとなかなか話さないよね、ということをまさに今日感じまして、自身もこの「50歳のエンディグノート」の取材を通して自分自身との対話を深めていきたいと思いますし、このメディアを読んでくださる方にもそういった機会に出来たらと思います。

垣畑さん、本当にありがとうございました!

(インタビュイー)

リスナーズ株式会社 代表取締役CEO 垣畑光哉(Mitsuya Kakihata)

1965年岩手県盛岡市生まれ。1989年立教大学卒業後、外資系生保に10年間勤務しダイレクトマーケティングを経験。個人創業を経て、2001年保険会社や保険代理店向けにマーケティング支援を行うマネーコンフォート株式会社を創業。2011年出版社のオファーから保険プランナーのストーリーを書籍化したことを機に、業界を問わず、経営者や働く人々のストーリーづくりに注力。2016年保険関連事業を売却、「取材」をコアバリューとするリスナーズ株式会社を単身再創業。同年ローンチした『ヒトをつたえ、つなぐWEBサービスLISTEN(リスン)』は掲載500社、2,000人超へ成長中。プロデュースした書籍は『10年後に後悔しない働き方 ベンチャー企業という選択(2014年幻冬舎刊)』ほか30冊以上。取材した経営者は世界9ヵ国1,000人を超え、“壁打ちのプロ“を標榜する。

(インタビュアー)

株式会社サムシングファン代表取締役
立命館大学経営学部客員教授
薮本直樹(Naoki Yabumoto)

1976年大阪生まれ。司会・ナレーターなどの仕事に携わる中、映像メディアに出会い、その可能性に魅せられ03年に代表取締役として株式会社サムシングファンを設立。経営的視点からの動画活用を早くから提案し、「顧客創造」「人材育成」に繋がる「企画」「映像制作」を数多く手がける。その他、ITビジネスに携わる経営者・ビジネスパーソンが集う「IT飲み会」を主催。 2013年立命館大学経営学部客員教授就任。