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2020年9月17日

20代から50代で「守る」「つなぐ」「育てる」を実現へ【森田桂治さまインタビュー】

プロローグ

「50歳のエンディングノート」取材担当のサムシングファン薮本です。

今回は香川県を中心に活躍しておられます、森田さんにお話をうかがいます。

森田さんとは今から4年前、起業家の先輩にご紹介いただいてお会いしました。

そのときはホテルで少しお時間をいただいて、ご自身で経営されている会社のことや、香川のお話をお聞きし、非常に充実した時間を過ごさせていただきました。

その後はFacebookのタイムラインを通じて、本当にいろんな活動をされていることを知り、とても意欲的でアクティブな方だなぁという印象を受けまして。

四国や香川のこと、うどんをはじめとする地元の文化のこと、さまざまなものをとても深く愛していらっしゃる方だということが伝わってきました。

そしてつい先日、会社の代表を辞任されて、若い従業員の方に社長を譲られたというニュースを拝見しました。

年齢的なことだけではないと思いますが、いろいろと節目を迎えられて、さらに意欲的なことを考えられているんだなと感じました。

そのときに、その決断のもとになったきっかけや考え方、そしてこれからの人生についてどんな思いや感情をお持ちなのかを、ぜひうかがいたいと思いました。

私自身も50歳という節目を迎え、人生の目的を改めて考えていくうえで、きっといろんな気づきをいただけるんじゃないかと考えたんです。

このような経緯から、今回の「50歳のエンディングノート」のメディア企画を考えたときに、真っ先に取材候補として思い浮かべたのが森田さんでした。

取材依頼をお送りしたところご快諾いただきまして、このインタビューのお時間をいただきました。

いろんなお話を聞いていきたいと思いますので、ぜひお楽しみください!

また今回のインタビュー動画もありますのでご覧ください。


薮本

よろしくお願いします。

森田

はい、よろしくお願いします。

薮本

最初にお会いしたのが4年前で、そこからFacebookでずっと、森田さんの四国でのご活動の様子を拝見しておりました。

今回私がたまたま、徳島県の「ぶつだんのもり」という会社様とご縁をいただきまして。

仏壇を買ったことも、買おうと思ったことさえもないなかで、代表の方や店舗スタッフの方にいろいろなお話をうかがって、「ご家族の思いに寄り添うことのできる仕事なんだな」と感じました。

そこで、いろいろな方の人生への思いをうかがっていくインタビューメディアをやりませんかとご提案して、この「50歳のエンディングノート」が始まったんです。

また、私は76年生まれの43歳で、「四十にして惑わず」の節目から3年経ったところです。

まさに40歳になったときに会社の株式を半分売却して上場グループに入り、3年くらいはあまり迷いもなく落ち着いていました。

それが最近になって、コロナ禍も影響したのかもしれませんが、自分が本当にやりたいことや、どう生きるのかについて、改めてざわざわしてきていて。

50歳という節目に至ったときに、はたして諸先輩方のように自分の生き方を堂々と振りかえれるのかな?という葛藤があります。

その思いもあって、50歳という節目を迎えられた先輩方にお話をお聞きたいということで、この「50歳のエンディングノート」というメディアをつくらせてもらっています。

このような背景のもと、いろいろとお話をうかがっていきたいと思います。

まずは簡単に自己紹介をいただいてもよろしいでしょうか。

森田

はい。

1969年生まれ、まさに50歳になります。

香川県で生まれて、立命館大学を卒業し、大手電機メーカーに就職。

その後外資系のコンピューターメーカーに転職してから、30歳で「株式会社ゴーフィールド」というウェブ制作会社を創業しました。

創業20年を機に、代表を6月に退任して、今は私一人の会社を立ち上げたり、環境系の活動や子育て支援の活動、いくつかのNPOの理事なんかもやっています。

ターニングポイントは30歳での起業。日本的大企業と外資系企業、両方の良さを集めた会社をつくりたかった

薮本

略歴をご紹介いただきましたが、これまでの人生を振り返ったときに「これが大きなターニングポイントだったな」とか、今の自分をつくっている考え方や出来事などを教えていただいけるでしょうか。

森田

最初に入社したのが大手電機メーカーの日立製作所だったんですが、まさに「日本の大企業」という環境でした。

たとえば、新人が見積書を持っていくだけでもお客さんに見てもらえる。本当に会社のブランドだけで仕事ができるという。

そういう大企業ならではの良いところをしっかり満喫しながら、うまく波に乗って成績も伸びたんです。

ところが大企業というのはやはり、先輩方がたくさんいることもあって、年功序列を超えていくことがなかなかなくて。

たとえば2〜3年経ってもボーナスの金額が横並びだったり。

これはなかなか、自分みたいにとんがった奴が出世していくのは無理だなと。

それで外資系のコンピューターメーカー、当時「シリコングラフィックス」という会社だったんですが、そちらに転職しました。

外資系ということで、できる奴は経費もガンガン湯水のように使えて、噂に聞いていた通りの環境で。

一方で、仕事ができない人にはやはり厳しい環境で、たとえば朝出社したら机の上が綺麗になっていて、会議室に荷物が置かれていて暗に「帰りなさい」と言われるとか、そんなことが本当に起きていました。

頑張りが実を結ぶ良さとともに、そういった怖さの面も感じましたね。

日本的な大企業と、外資系企業の両方を経験したことで、「両方の良いところだけを集めた会社をつくりたい」と思って。

満たされもしたし、達成していない部分もあったので、それをやろうということで、30歳で起業しました。

そのときに、やるんだったらプレイヤーの多い都会より、割とゆるい田舎の方が多分成功するだろうと思って、スタートしたのが今から20年前です。

そこら辺が大きなターニングポイントだったかなと思います。

薮本

都会の競争が激しいところでやるよりも、田舎でやったほうがいいというのは、20年前だと先進的な考え方ですよね。

森田

そもそも、ウェブ制作をみんなまだ自社でやっていた時代なんですよね。

香川県の大手企業でも、外部に発注するという考えがまだなくて、総務部とか広報室みたいなところがホームページをつくっていました。

それを初めて外部に出した先がぼくたちの株式会社ゴーフィールドだったっていう企業さんが、今でも結構いらっしゃるんですよね。

それくらいブルーオーシャンだったことは間違いないと思います。

薮本

起業がターニングポイントだったというお話がありましたが、結構勇気のいることかなと思うんですが。

森田

しかも一人で始めたんじゃなかったですからね。

ブラブラしている若者たちになつかれていたというのもあって、最初から僕含めて7人でスタートしたんです。

お客さんがついていたわけでもないので、最初の1年は売上が本当にきつかったです。

だから当時使えるものはもう全部使って、使い尽くして。

雇用の助成金とか、教育に使える補助金とかですね。

それから、妻の預金通帳をこっそり持ち出して、それを見せて銀行からお金借りたこともありました(笑)

リスクは高かったと思いますが、そのおかげでなんとか走り始めることができたという部分もあります。

薮本

今でこそ起業を取り巻くサポートがいろいろと手厚く用意されていますが、20年前というと、そんなに数もなかったんじゃないかと思います。

そして、銀行とのお取引を結構早々にスタートされたというのもすごいことじゃないですか?

森田

最初からというわけではなかったんですが、やっぱりまずは当時の国民金融公庫に行って、500万借りて。

それで1年の決算が終わった、創業から10ヶ月後くらいにやっと銀行との話が始まりました。

薮本

でも当時ってやっぱり3期分の決算がないと、なかなか話を聞いてくれない時代では?

森田

それが、2000年創業なんですけど、当時ってまだネットバブルが弾けきってないくらいの時代だったんですよ。

特にIT系企業というのは田舎ではめずらしくて。

高松の銀行の、ほとんど土木関係か農業関係しか融資先がないような郊外の支店だったので、「IT系の企業がやってきた!」みたいな感じで(笑)。

割と融通が利いたというか、結構大事にしてくれました。

薮本

なるほど、注目もしてくれたということなんですね。

大企業と外資系企業の良いところ、また、その二つで成せなかったものを自分の会社でつくっていこうというなかで、環境なのか文化なのか制度なのか、具体的に「これが思った通りに実現できた」というのはどんなところになるんでしょうか。

森田

大企業には、家族的な雰囲気が結構あったんですね。

所属している部くらいまでの40〜50人が、言ったら「世界のすべて」みたいなところがあって、ファミリーみたいになるんです。

その空気感が、多分今だと「嫌」っていう人も結構多いんですけど、僕なんかはおじさんたちに大事にされたり、難しいお姉さんたちに怒られながらも付き合ってもらったり、そういう家族的な良さみたいなものがあったので、それは新しい会社でもぜひやろうと思いました。

そして外資系企業の場合は、頑張った人にはちゃんとご褒美が出るし、頑張らない人にはちゃんと劣等感を感じてもらうじゃないですけど、「家族的に見捨てはしないけど厳しく」という面があって、そういったものも必要だなと。

経営スタイルとしてはすごくドライだけど、全体は家族的な雰囲気をもって、ということを意識していました。

そういうところがうまくいったんじゃないかなと思いますね。

50代になってからやりたいことが20代・30代でやりたかったことから変わってきた

薮本

(インタビュイー)

株式会社ゴーフィールド 取締役会長
NPO法人アーキペラゴ 副理事長
NPO法人わははネット 理事

森田桂治(Keiji Morita)

1969年香川県生まれ。立命館大学卒。株式会社日立製作所、日本シリコングラフィックス株式会社を経て、2000年、ウェブ制作会社、株式会社ゴーフィールドを香川で創業。官公庁、行政、総合病院、大学、大手企業のウェブサイトを制作、運営。企業経営の傍ら、環境問題対策でNPO法人アーキペラゴや子育て支援でNPO法人わははネットに理事として参画し、地域課題の解決に取り組む。2020年には株式会社ゴーフィールドの代表を退任し、さらに幅広く若手のサポートに邁進の日々。
http://www.keijimorita.com/profile/

(インタビュアー)

株式会社サムシングファン代表取締役
立命館大学経営学部客員教授
薮本直樹(Naoki Yabumoto)

1976年大阪生まれ。司会・ナレーターなどの仕事に携わる中、映像メディアに出会い、その可能性に魅せられ03年に代表取締役として株式会社サムシングファンを設立。経営的視点からの動画活用を早くから提案し、「顧客創造」「人材育成」に繋がる「企画」「映像制作」を数多く手がける。その他、ITビジネスに携わる経営者・ビジネスパーソンが集う「IT飲み会」を主催。 2013年立命館大学経営学部客員教授就任。