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2020年10月3日

これまでも、そしてこれからも『縁』と『仲間』を大切に【岡本昭宏さまインタビュー】

プロローグ

「50歳のエンディングノート」取材担当のサムシングファン薮本です。

本日は山口県下関市に本拠地を置く、オンガネジャパン株式会社・岡本さんにお話を伺ってまいります。

私が東京で仲良くさせていただいているいろいろな経営者の方々からご紹介していただきました。

諸外国と日本の貿易においてトップランナーを勤めている方なので、グローバルなお話もお伺いできるんじゃないかと楽しみにしております。

人生のターニングポイント、ハードシングス、そして50歳になった今どのようなことを考えていらっしゃるのか、伺っていきたいと思いますので、ぜひお楽しみください!

また今回のインタビュー動画もありますのでご覧ください。


 

薮本

本日はよろしくお願い致します!

改めまして「50歳のエンディングノート」という新しくオープンするWEBメディアにご登場いただきましてありがとうございます!ご覧いただいている皆様に向けて簡単に岡本さんの自己紹介をお願い致します。

岡本

オンガネジャパンの岡本と申します。
山口県下関市で食品の貿易商社を営んでおり、主に韓国・中国・ベトナム・アメリカと交易している会社を経営しております。

薮本

韓国が主要だとは思っていましたが、かなりいろいろな国とご商売されているんですね!

岡本

そうですね。もともと20年前に韓国から韓国海苔を輸入したところからスタートした会社で、今では多くのスーパーで韓国海苔などが普通に並んでいますが、1番最初にセールスしたのは僕じゃないかと思います。現在はいろいろなお店で取り扱いいただけるようになりまして。

長い間、韓国食品の取り扱いがメインでしたが、韓国の知り合いがアメリカに行って大手量販店の責任者になったことでアメリカのスーパーと取引を始めました。中国ではそちらとの合弁企業を作り、今は中国に対しての輸出をメインでやっています。
ベトナムに関しては私共のパートナー企業を作って日用雑貨、マスクや除菌ジェルといったものを輸入しています。

創業から20年目、会社と自分自身の次の方向性について考えるように

オンガネジャパン代表取締役・岡本昭宏

薮本

ご紹介をありがとうございます。

この「50歳のエンディングノート」というメディアは若者層を中心に2~40代の読者を想定しており、彼らからすると50代というのは未知の世界で、そのタイミングになったときに自分が何を考えているかも想像もしない状況だと思うのですが、今回岡本さんが本メディアの取材を受けていただいた理由は何かございますか?

岡本

私が今まさに51歳で、ちょうど会社を創業して20年目の節目でもあります。

30代の頃、創業して10年くらいのときはまだまだ事業拡大やチャレンジについての意欲が強かったんです。

だけどこれからの10年を考えたとき、もちろんその気持ちは失っていませんがその反面、自分だけでなく従業員も含め守る人が増えてきたこともあって、会社を大きくするのと同時に終わり方も考えていかなければいけない、と思うようになりました。

まぁ、事業承継ということですね。

私も27,8歳になる息子がいまして、自分で会社を始めたとき息子はまだまだ子供で継がせるとかも考えたことすら無かったのですが、実際少しずつ会社が大きくなるにつれて会社を成長させるためには世襲をするべきでは無いと思うようになりました。

そこで、なんとかプロパーで人材を育てていきたいということで経営幹部の育成等々にはかなり力を入れてきました。

現在、私共オンガネジャパンとは別にグループ会社が3社がある体勢で、今年は事業規模がグループの総売上で50億円くらいなんですね。

ですが私も他のグループ会社も皆、代表者が50代を超えているんです。

そうすると全員が事業承継を考えないといけないタイミングで、私も世襲はしないということになると、当然下から引き上げなければいけない。

だけどそれだけ経営的なマインドを持った人がすぐに数人揃うかと言うとそうでは無いですよね。

なので現在も喧々諾々やっているところですけども、私ども単独で売り上げ100億円を目指していくのか、大きいところと合流していくのか、はたまた自分は創業者として事業を継続していくのか、経営者から降りて違う事業に携わるのか、といろいろ考えているところですね。

道の駅に広げたテントからパートナーとの出会いを経て、今では全国に並ぶ商品を

薮本

心境の変化がたくさんあるようですね。

今日はそういったご自身の50歳になっての変化や考えを残していただける、そんな機会にもしていただけたらと思っております。

まずは、人生を振り返った時に今されている事業はもちろん、様々なターニングポイントがあったかと思います。

大きな経験から今だから分かるものもあると思いますが、ご自身の転機についてご紹介いただけますか?

岡本

転機になるようなことがたくさんありすぎて選ぶのが非常に難しいんですけれども、やはり創業して2,3年目の時に今ある韓国のチームメンバーに出会ったことですかね。

彼らとは年齢が同じくらいで、人種は違えど、当時まだメジャーでは無かった韓国食品を売っていこうという志が一緒だったので皆楽しく一丸となりました。

最初は韓国食品に否定的な方が多かったんですけれども、2002年のW杯、その後の「冬のソナタ」による韓流ブームというような想定していなかった追い風が吹いたことで、波に乗ることができました。

薮本

なるほど。その韓国の事業パートナーと出会われたのはどういったきっかけだったのでしょうか?

またその出会いの時、岡本さん自身はどんなことをされていたんでしょうか?

岡本

実はもともと催事販売のようなものでやり始めたのですが、お恥ずかしながら手元にはパチンコで勝ったわずかな資金しか無く、事業として創業しようという志も無く、ただ飯を食うために何かを売らないといけないと思っていまして。

知り合いが作った道の駅にテントを立てて、そこで10万円分の韓国食品を買って並べて売ったというのがスタートですね。

月に数十万円売れれば御の字の商売で、事業と呼べるようなものでも無かったのですが、あるときに韓国の同年代の人と出会いまして。

その人たちは1,2年先に貿易事業を始めていたので、それを肌に見て自分も仲間に入れていただき、見よう見真似でスタートしたのが34,5歳の頃ですね。

薮本

では志を持って事業をやろう!というよりは、ある意味生活のためというのがスタートで、事業家との出会いを経て自分もやろう!となっていったんですね。

岡本

本当にそうですね。

そういった方に出会って自分の目指す方向がガチッと見えたのでやっとアクセル踏んで邁進できましたし、結果的に事業の柱になりました。

そして私自身が食べていけるようになると、今度は同じように周りでつまずいていた人達が1人、2人というように今の会社に入ってきて人数が増えてきました。

最初はどちらかと言うと寄せ集め集団でしたが、能力があっても芽が出なかったり社内に恵まれずに訳あって入ってきた人達が、今ではうちの会社でポジションをとっていたり他の会社の代表になって活躍していたりするんです。

薮本

創業後は日韓のエンタメやスポーツなどの影響が追い風となったようですが、事業としてさらにスケールしていく中でどういったことが原動力やきっかけとなりましたか?

岡本

事業拡大と言いますと第1次韓流ブームの時、これはブームが少し行き過ぎているかなと思いリスクヘッジのためにアメリカとの貿易を始めました。

ブラジルのアサイーと言う飲み物をアメリカから入れてきたんですが、ちょうど竹島問題で韓流ブームに翳りが見えた時には既にアメリカの貿易にスイッチできていました。

第二次安倍政権の時には、アベノミクスでかなり大きな円安誘導があり、我々輸入業者からすると死活問題でした。

アメリカの貿易が順調だった時に急に1ドル=80円が1ドル=120円になったわけですから、あの年は利益が出せるのかも分からないくらい落ち込みがあったのですが、そこで心機一転、今度は自社で為替が設定できるように輸出をやろう、ということでそれまでは海外企業とばかり組んできたのですが、今度は日本企業と組むようになりました。

我々は海外から仕入れた商品を日本全国のスーパーやバラエティショップなど様々なチャネルに卸していたのですが、今度はその財産を生かしまして、地方のメーカーさんと組んで我々が持つ国内の販売チャネルで売って実績を出す、実績を出せたものをさらに海外に輸出しています。

以前は海外食品は大手スーパーの脇役として市場をとっていましたが、日本国内では水や青汁、素麺などスーパーの中心にある商品を自分たちが作れるようになりました。

同時に海外に輸出するのも順調でしたので、コロナ禍で世間はすごく大変な時でしたが、私共は大手量販店、ディスカウントストア、スーパーやドラッグストアの中心となる商品を扱っていたので、どちらかと言うと今のタイミングも追い風になったようでした。

悩むこともあったチームも、今では大きな信頼と活力に

 

薮本

様々な状況で臨機応変に対応・挑戦されたことで様々なスキームを確立してこられたようですが、岡本さんにとって商売に付き物である危機やリスクはどういった意味を持つものになるのでしょうか?

岡本

リスクと言うのは自分にとって非常にプレッシャーになる言葉ですが、ずっと頭の中で考える癖もありましてリスクの抽出は毎月しています。

会議でもどうやってそういった危機をプラスにしていくのか考え、動いている中で新しいヒントも出てくるので、リスクが自分たちの行動起点になっていますね。

そこを摘み取っていきながらいい方向へ変えていく、作業の一貫でやっています。

薮本

実際に逆境や危機の時に新しい突破口を見つけられていると思うのですが、事業も含めてご自身の人生の中で最も辛い困難はどんなものがございましたか?

岡本

最も困難だったことは、そうですね…

事業を進めていく上ではよく資金であったり組織であったりの課題と言われますが、実際に1番難しかったのは仲間とのコミュニケーションですね。

これはお金では解決できないですし、僕らは地方でいろいろな方が集まっている組織なので決して一枚岩では無く、それぞれの個性が強過ぎて当たり前のことが当たり前にできないっていうことがすごく多かったんです。

おそらく他の企業の方が見たらなんでそんなことで悩むんだというところが僕にとっては1番大きな悩みで。

本当にちょっとしたことなんですが、例えば会議で決められたことができないとか、役割通りの仕事ができないとか…。

大した業務内容では無くても決められたことができないと全般的な流れが崩れてしまう、というのが3年くらい前までありました。

これが二つ目の転機で、新しい人材、特に若い人材を入れたときのことですが、1人、2人でも当たり前のことが当たり前にできる人が入ってくるとそれまでできなかった人が急に変わったりして、社内全体の流れも変わって去年くらいから事業のスピードが上がってきました。

それを今、すごく肌で感じています。

だからこそこのタイミングで事業の引継ぎとかは徹底的にやっていかないといけないなと実感しています。

薮本

なるほど。岡本さんが今思う、リーダーとしての役割はどうお考えですか?

岡本

今、新しいメンバーの中でリーダーとして動いている人を見ると、やはり生徒会長とか学級委員長のような感じで自己犠牲的に皆のことを取りまとめてくれる人、でそれをサポートしてくれる人っていうのが必要なんだと思います。

(インタビュイー)

オンガネジャパン株式会社 代表取締役 岡本昭宏(Akihiro Okamoto)

1969年山口県下関市出身、今年50歳。
山口県豊浦高等学校卒業。20代は地元旅行会社に勤務。
2001年31歳で起業。(就職先がなく道の駅で韓国食品を売るところからスタート)
2003年33歳、オンガネジャパン株式会社を設立。代表取締役に就任。
下関市を拠点に韓国産の海苔、麺類、スープ類、調味料など輸入卸事業を開始。
韓国のりを当時日本で1番最初に商品化してスーパーで販売。
2015年に霧島天然水「シリカシリカ」を販売開始。
昨年「30代以上の女性が選ぶ美容に良い天然水」第1位になるなど、ブランディング先行型商品として海外営業中。

(インタビュアー)

株式会社サムシングファン代表取締役
立命館大学経営学部客員教授
薮本直樹(Naoki Yabumoto)

1976年大阪生まれ。司会・ナレーターなどの仕事に携わる中、映像メディアに出会い、その可能性に魅せられ03年に代表取締役として株式会社サムシングファンを設立。経営的視点からの動画活用を早くから提案し、「顧客創造」「人材育成」に繋がる「企画」「映像制作」を数多く手がける。その他、ITビジネスに携わる経営者・ビジネスパーソンが集う「IT飲み会」を主催。 2013年立命館大学経営学部客員教授就任。