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2021年9月25日

50代でアクが抜けた。振り返りの作業で新しいものを見つけたい【和田浩一さまインタビュー】

薮本

よろしくお願いいたします。

和田

はい、よろしくお願いいたします。

「サラリーマンにはなりたくない」と漠然と思っていた幼少期

薮本

和田さんは東京ご出身ということで、どういった幼少期を過ごされたかお伺いしてもよろしいですか?

和田

東京都足立区で幼少の頃から小中高まで過ごしました。

小さい頃は父親の影響もあり、野球が好きでした。

父親が少年野球の監督をやっていて、そのチームに入って野球に取り組んでいました。

薮本

元野球少年というイメージがなかったので驚きました。

活発な性格だったんですね。

和田

そうですね、外で遊ぶのが好きで、インドア・アウトドアに分けると完全にアウトドアでした。

今は花に関する仕事をしていますが、当時の同級生や友達からするとまったくイメージがつかないと思います。

薮本

そうだったんですね。

当時、将来こういうお仕事に就きたいと思っていたことはありますか?

和田

当時はお恥ずかしい話ですが、普通のサラリーマンなど勤め人にはなりたくないと漠然と考えていました。

何かしら自分でクリエイティブできるような職業に就きたいと思っていました。

だからといって具体的に計画を立てて、それに向かって努力していたわけではないですね。

薮本

10代やりたいことが具体的にはないものの、何か自分の力でやりたいと思う中で、もう少し成長されて学生時代はどんなことをされてきましたか?

和田

高校から大学に進学をして、授業はまったく出ないでアルバイトにふけっていました。

大学1年で除籍という形でやめて、通っていたのは最初の3ヶ月半ぐらいですね。

ちょうど時代もバブルの最後の頃で、世の中自体が浮かれていたこともあり、切り詰めた感じではなく、のんびり過ごしていました。

いきあたりばったりでそのとき楽しいことをやっていましたね。

 

お花に関しても大学を除籍したあと、アルバイトを探していた時に出会ったのが花という仕事でした。

とくにお花に関しても自分が好きで、どうしてもやりたいと思って入った世界ではないですね。

薮本

学生時代は悶々とされていた感じなのか、焦りなどはあったのでしょうか?

和田

焦りはまったくありませんでした。

音楽を少しやっていましたが、プロのミュージシャンになりたいと思ってやっていたわけではなく、後先のことを考えずにその日その日を楽しく過ごしていました。

薮本

逆に大物感を感じさせますね。

和田

アルバイトでお花屋さんに入ったのがちょうど20歳の年でした。

初めはお花屋さんの配達のアルバイトで、それから店長さんたちからお花を触ってみたらと提案をいただき、徐々にお花を触る機会を作ってもらい、それからどんどんお花の世界に入ってきました。

通算で6年間ぐらいフルタイムのアルバイトをしていました。

そのうち正社員になったらどうだと何度か打診を受けていたんですが、いつもお断りしていましたね。

薮本

正社員として落ち着くより、自分のライフスタイルを重視したかったんですかね。

和田

会社にしばられたくないという若気の至りといいますか、自由にやっているのが自分の生き方だと思っていましたね。

薮本

お花の道を目指していたわけでもないのに、実際に花に触れてみることを進めた店長さんは、和田さんに何か光るものが見えたのでしょうか。

和田

どうなんでしょう…店長に真意を聞いたことはないのでわからないですけどね。

お花の配達は宅配便のように1日何十件も配達があるわけではないので、手持ち無沙汰にしている時間が多かったんです。

私がアルバイトをしていたのは街のお花屋さんではなくホテルの中のお花屋さんで、ホテルでの結婚式やパーティーのデコレーションをメインにしていました。

みなさんが作業場でデコレーションの作業をしている中で、隅っこの方でぼーっと作業している様子を見ていることが多かったので、それを見兼ねて声をかけてくれたんじゃないかと思っています。

薮本

そのおかげで人生が大きく変わったということですよね。

和田

当時、お花屋さんは女性の仕事というイメージがあって、女性の比率が圧倒的に多かったんですよね。

男性は数える程度しかなくて。

私も若かったことから、少し重宝していただいたところがあったかもしれません。

薮本

ホテルのお花のデザインなどお仕事されている部門でも、大部分は女性が働いておられたのでしょうか。

和田

そうですね、7〜8割ぐらいが女性でしたね。

薮本

フラワーアーティストで有名な方は男性が多いイメージですが、今は男女問わずでしょうか。

和田

今はかなり男性もいますね。

当時は男性が花屋で勤めるのはものすごく珍しがられました。

転機は26歳。ホテルの立ち上げをきっかけに将来を考え始めた

薮本

20代で店長さんの一言で大きく人生が変わっていく中で、いつ頃から花の道で仕事をしていこうと思われたんですか。

和田

転機は26歳の時です。

恵比寿のウェスティンホテルが立ち上がる新しいプロジェクトがあり、そこに当時在籍していたお花屋さんからスタッフを派遣する話が持ち上がりました。

そのリーダーとして店長がいくことになり、各店舗から2人ずつぐらい派遣スタッフを選抜していて、一緒に行かないかと声をかけていただいたんです。

そこで初めて将来のことを考えましたね。

その前からなんとなく、将来どうしていけばいいか考えていたんですが、これがやりたいというものもなく、ちょうどアルバイトもそろそろやめようかと考えていたんです。

 

アルバイトを辞めてバックパッカーとして放浪の旅に出ようかなと考えていた時期で。

そのタイミングで店長さんに声をかけていただいて、二択で悩みました。

ホテルの立ち上げに関わる機会はそうそうないので、ものすごく貴重な体験になると魅力を感じました。

6年間アルバイトとして仕事に関わってきて、徐々にアレンジメントをする楽しさを肌で感じてきていたので、自分の力を試せるいい機会なのかもしれないと考え、「真剣にしっかり向き合ってやりたいので、今度はアルバイトではなく正社員でやらせていただけませんか」と相談しました。

薮本

会社の方もぜひという感じでしたか。

和田

そうですね。男性というところが、有効だったのかなという気がします。

薮本

実際に新しいホテルが立ち上がる中で、やりがいのあるプロジェクトと出会って、人生の選択をされて、ホテルでの日々はどうでしたか?

和田

ホテルの立ち上げは本当に大変でしたね。今までの生活が180度変わるくらい。

朝から晩まで寝泊まりすることもありましたし、プレッシャーと言いますか、これまでとは違うものも感じるようになりました。

そこから何年間かは趣味とかは一切せず、そのことだけに全力投球する日々が始まりました。

薮本

自分の社員含めて映像を勉強してきて、その道でやっていきたいというメンバーが多い中で、和田さんが男性という部分で店長さんや会社の方からも重宝がられたというお話があったと思います。

一方でその道の勉強はされていない中で、向き合う中でいろいろ大変なことがあったかと思いますが、どう工夫されて、どう学ばれたんでしょうか。

和田

(インタビュイー)

オランダウェラントカレッジ認定ヨーロピアンフローリストリー修了
同オランダ大使館特別賞受賞 和田浩一(Koichi Wada)

1968年東京生まれ。20歳の時より花業に従事。 ウェスティンホテル東京では、開業より13年にわたりウェディングやパー ティー・イベント等のフラワーデコレーションを多数手掛ける。2012年、独自の世界観をあらわしたコンセプト花屋『劇的花屋|ドラマティッ クフラワーズ』を設立。 CMや雑誌の撮影・イベント・パーティー等、「花」と「植物」を使った空間プ ロデュースを提供している。
フラワーアーティスト 和田 浩一 公式HP

(インタビュアー)

株式会社サムシングファン代表取締役
立命館大学経営学部客員教授 薮本直樹(Naoki Yabumoto)

1976年大阪生まれ。司会・ナレーターなどの仕事に携わる中、映像メディアに出会い、その可能性に魅せられ03年に代表取締役として株式会社サムシングファンを設立。経営的視点からの動画活用を早くから提案し、「顧客創造」「人材育成」に繋がる「企画」「映像制作」を数多く手がける。その他、ITビジネスに携わる経営者・ビジネスパーソンが集う「IT飲み会」を主催。 2013年立命館大学経営学部客員教授就任。