出演:元徳島文理大学短期大学部教授 飯屋一夫さん
ふるさと切手「阿波踊り」や画文集「なつかしき徳島」、絵本「シロのないた海」など、多くの作品を創作して きた飯原さんは昭和4年生まれ。子どもの頃から絵を描くのが大好きな少年でした。
そんな飯原さんが、徳島の風景を書くようになった最初のきっかけは、戦争でした。戦災で焼け野原と なった徳島の街を見たとき、ショックのあまり言葉も出なかった飯原さん。目を閉じると子どもの頃、遊んだ 山や川がはっきりと目に浮かんできたと言います。その後、町は復興に向けてめまぐるしく変化していきまし た。川には新しい橋が架かり、田畑を切り裂いて道路や住宅地の整備、建設が進みました。砂埃をあげて いた道路はアスファルトになり、街並みも人もあっという間に近代化の波にのまれてしまいました。そんな 中、飯原さんは小学校、中学校の美術教師をしながら、瞳の奥に浮かぶなつかしい徳島の風景を描き続け てきました。
飯原さんが描く懐かしい風景の中には、必ずと言っていいほど、そこで暮らす人の営み、人と人とのふれ あいが描かれています。七輪でサンマを焼く親子、子大とたわむれる子どもたち、井戸端会議をしている近 所の人たち。今にも懐かしい風景の中からその会話や息づかいが聞こえてきそうです。
教職という責任ある仕事をしながら、長い間、徳島の風景を描き続けてきた飯原さん。その原動力と なっているのは何なのでしょう。ご自身の展覧会で目にした光景。「子どもの頃を思い出してなつかしい」 「あの頃は楽しかったな~」「小さいとき、この川でよう遊んだんでよ~」作品の前で足を止め、子どもや孫に 絵の説明をしている老人。飯原さんの描いた懐かしい風景を通して、時代や世代を超えた、人と人との絆 が生まれた瞬間でした。まさしくこの瞬間があるから、飯原さんは描き続けることができたのです。
80歳を過ぎた今でも、一日を大切に生きたいと話す飯原さん。しかしながら、近代的な街並みや人の息 づかいのしない風景を描く気にはなりません。「私の生きかいは絵を通して人と人とを結ぶこと。今はなき ふるさとの風景を祖父母から親へ、親から孫へ伝えることができたら幸せです。」
飯原さんの瞳の奥から、あの懐かしい風景と、人と人とを結ぶ心の絆が消えることはありません。