『祈結(KIYUI)』の旅

徳島・高松・輪島

第三章 輪島

Chapter 03 - Wajima

奥能登と漆

石川県奥能登・輪島。言わずと知れた漆工芸のメッカである。今回の訪問先はその輪島にある木と漆の工房・輪島キリモトだ。今回の仏壇ラインアップでは木とならんで漆仕上げも予定している。輪島キリモトでこの漆バージョンを引き受けていただくことが訪問の目的だった。

輪島は先頃放映されたNHKの朝の連続ドラマ「まれ」の舞台。 ドラマの中で主人公の夫が新しい輪島塗の技法に挑戦する展開があるのだが、実はこの輪島キリモトの取り組みを取材してドラマの脚本が作られたそうだ。 江戸時代後期から約200年以上にわたり木や漆に携わってこられた輪島キリモト。ブランド名は世界にも広く知られ、伝統的な輪島塗の食器類はもちろん、新しい技法を用いた食器、インテリア、建築内装などにも積極的にチャレンジをされている。

打合せの前日、宿泊した輪島の民宿で輪島キリモト社長・桐本泰三さんと食事を共にした。宿の名は「深三」。2階の部屋からは海が見渡せる絶好のロケーションだ。ここは桐本社長から「漆の良さを知ってほしい」と紹介された宿である。この宿の内装は桐本が手掛けた。建物の中に入ると柱、床、扉、温泉浴室内の壁までも見事な漆づくし。食事の際に出された食器や酒器ももちろん漆。奥能登のおいしい魚と地酒を肴に、桐本社長から漆と奥能登の魅力をお聞きした。

その中でも印象に残ったのは、奥能登のイメージを変える中世〜近世の繁栄の姿だった。東京や大阪からみれば地理的には辺境の地ともいえる。しかし逆に大陸側からみれば日本の表玄関。奥能登はいわば貿易・海運の一大拠点でもあったという。またそこで暮らす人々も決して「貧農」であった訳ではない。北前船の寄港地だったこの地で栄えた豪農は、今の総合商社的な多角化経営で日本の最先端を走っていたのだ。その繁栄をベースに、人々は農業・漁業だけでなく商人・廻船人・職人など様々な職業を営み、この地には活気にあふれる都市空間が作られていたという。(※) そうした歴史的・文化的背景があってこそ、輪島・漆の今があるのだろう。

※輪島の旧家・時国(ときくに)家に残された古文書を歴史学者・網野善彦たちが詳しく調べる中で、当時の奥能登の経済や暮らしぶりが再発見された。このいきさつは『古文書返却の旅』網野善彦著・中公新書に詳しい。

珪藻土(けいそうど)と蒔地技法

翌日の午前中はまず漆の基礎知識のレクチャーから始まった。漆は70~80%の湿度がないと乾かないということ、強度と耐久性を持たせるために布を補強して漆を塗るということなどを教えていただいた。中でも興味深かったのは、奥能登でとれる珪藻土と漆の関係だった。珪藻土は主にプランクトンが海底で堆積してできる地層から産出される。この土を焼成した粉と漆を混ぜるのが蒔地(まきじ)の技法。漆の上にこの粉「地の粉(じのこ)」を蒔きつけるので蒔地技法と呼ばれている。元々、お椀の下地に使われていた技法で、水を使わないのでとても丈夫な漆器ができるのだが、きれいで丈夫な面を作るためにはたいへん難しい技術が必要となるため近年ではほとんど行われなくなってしまった技法だという。それを独自の技術と応用で復活させたのが輪島キリモトだ。蒔地仕上げはマットな質感が特徴で、金属のスプーンやフォークを使っても傷がつきにくいことから、洋食用の皿など新しい用途にも広がっている。 漆といえば幾重にも塗り重ねられた黒や赤のお椀や箱を思い浮かべるが、輪島キリモトでは伝統的な手法の他に蒔地をはじめ数々の手法を使いながら、器やインテリア、建築内装へと漆の可能性を追求している。

午後からの打合せでは、たくさんの漆の仕上げ見本を見せてもらいながら、組み合わせと色のパターンが検討された。何よりうれしかったのは、桐本社長が今回の仏壇づくりに積極的に関わろうとする姿勢だった。仏壇や仏具にも詳しい桐本社長からは、今次々と生み出されるモダンなデザインの仏壇について、どこか存在が軽くなってはいないだろうか、とのコメントもあった。そんな現状を見据えてのチャレンジに意義を見いだしていただいたのかもしれない。 奥能登で出会った輪島の漆、蒔地技法、そして輪島キリモト。この出会いから生まれる新しい仏壇。奥能登の歴史と文化にも触れながら、発見と収穫の多い旅になった。

終わりに

今回のプロジェクトで、デザイン・設計を担当していただいたinfix・間宮吉彦氏を紹介したい。氏が率いるinfixは様々なジャンルのインテリアから建築までをトータルに手がける商業空間のスペシャリスト集団だ。今回のプロジェクトでは仏壇・ショールームのコンセプトづくりからデザイン・設計・監理まで手掛けていただくことになった。桜製作所や輪島キリモトのご協力も、間宮氏をはじめinfixのスタッフの方々のサポートがなければ実現できなかっただろう。

新しい仏壇を求めて、まだ最初の旅が終わったばかりだ。出来上がる仏壇が人々にどう受け止められ、どう評価されていくのかはこれからだ。 一人でも多くの人に、私たちの想いが伝わることを願って。